まちのタネって?
陽楽の森をみんなが集える場所にするために使えるかもしれないし使えないかもしれない、なんなら全く関係ないかもしれないネタをざっくばらんに書き残すコーナーです。
なんともシンプルだけれど、奈良ホテルの近くで見つけた名前の通りの情報BOX。掲示板の面積の1/4がボックス形状になっていて透明アクリルの扉が付いている。扉の内側にフライヤーを置いたり雨に濡らしたくないポスターを掲示したりできるようだ。
この掲示板のデザインとしての良し悪しは一旦置いておいて、「情報」というものに空間が与えられていることに対してなんだかハッとさせられた。「情報」という見えないものがあたかも物理的にあるかのように扱われている様に、何か安心感に似たものを感じたと思う。
その「安心感」がどこからくるのか考えてみた。「情報」のボリュームは身体感覚で測れない。水や小麦粉ならば見ることもできるし、重さがあるので持てば身体的に理解することもできる。しかし、メガバイト、ギガバイトと言われてもしっくりこない。脳内では理解できても,実際に現実空間に存在しているイメージがない。「見えなくてよくわからない」からこそ、どこか情報をより身体的に把握したいと思っているのかもしれない。
これは私が旧時代の人間だからかもしれないが、スマートフォンの進化だって「情報に触れること」だし「メタバース」ブームが到来しているのも多分同じような欲求な気がする。わかりにくいものを伝えるときに、情報に触れる人が身体的に理解できるかどうかの視点をもつのは面白いかもしれない。