陽楽な人々に聞く|中川直美さん

陽楽な人々に聞くって?

陽楽の森のプロジェクトには、分野を超えて様々な人々が関わっています。林業、まちづくり、自然環境、福祉、建築をはじめ、とにかく一般的には協働することがない面々が自主的に集まっているのです。それはとっても面白い状況ではありますが、分野が違いすぎるあまり、お互いにどのようなバックグラウンドを持っているのか、どんなことを考えているのか、理解する機会がなかなか得にくい気もします。素直に枠にはまらない特殊な人間も多いので、そもそも予測不可能という話もあります。

この連載は陽楽の森に関わる様々な人たちの「これまで」・「いま」・「これから」をインタビュー形式でお聞きすることで、関わる人々への理解を促し、さらなる人同士の化学反応が起きるきっかけになることを目指しています。

ゆるっとした連載で進めていきますので、いい意味で変な人が多い陽楽の人々を丸裸にすることは諦めています。気になることがあればぜひ本人へ!

ー今回は中川さんに、これまでの経歴も伺いながらご自身の活動や今後についてお伺いできればと思います。まずは改めてお名前とお仕事の内容についてお聞きしていいですか。

中川直美です。職種は・・・何になるのかな。NPO法人代表とかになるんですかね?NPO法人の中で障がい福祉サービスをやっています。そこでは施設長をやっています。

ーそもそも中川さんが初めに福祉の世界に入られたきっかけを聞かせてもらえますか?

私たちの年代は、介護保険サービス元年の世代なんですよ。当時の日本では介護や福祉は思いのある人がボランティアでやっていて、それを国家で担いましょう、と舵を切り、社会福祉の国家資格を持った人をつくる流れがあったんです。それが高校生の進路を決める頃で、どうせならずっと働ける仕事がいいな、人と接するのも好きだし、と考えていたところ社会福祉士という国家資格ができることを知り、福祉の世界を志すようになりました。

ーそこからどういった流れで陽楽の森に関わることになったのですか?

長男の育児休暇で前職場の福祉施設を1年間休むことになり、せっかくお休みがあるので何か始めようと思って、2014年頃にナナツモリ写真教室に通うようになりました。そこで田村先生に出会い、田村先生も福祉に興味があったので私の前職場に遊びに来てくれるようになったんです。田村先生が障がい者施設メンバーのポートレートを撮影してくれたり、その写真を施設の中に飾ったりしていました。

そんなある時、田村先生が「今日は友達と施設に行きます」といって連れてきたのが谷さんだったんです。で、谷さんがキョロキョロと施設を見ていて。今まで谷さんは障がい者施設や障がい者と関わることがなかったみたいで、コミュニケーション1つをとっても新鮮だったみたいですね。

当時は谷さんと田村さんがちょうどチャイムの鳴る森の第1回を企画していて、バウムクーヘンを作ってくれる場所を探していました。あそこの施設はクッキー作ってるからいけるんじゃないかということで前職場に来てくれたようです。結果的にバウムクーヘンは作らなかったんですけど。

チャイムの鳴る森って?
2014年の春から2016年まで計3回開催された、陽楽の森を会場に行われたイベント。「森で遊んで、森を学んで、これからの森を想う。」をテーマに地域の美味しいものやセンスの良い雑貨が手に入るマーケット、森を会場にちりばめられたアーティスト作品やパフォーマンス、木こりや林業従事者によるワークショップなど、現在版の里山の利活用を行なった。3日間で6千人を越える多数の来場者があり、地域にも愛されたイベントだったが現在は休止中である。

当時私も30代で、障がい者福祉っていう業界や福祉の仕事には魅力を感じるんだけども、既存の福祉施設のルールの中で表現するっていうのに、もったいなさを感じていました。

ーもったいなさ、について具体的に教えて頂けますか?

例えば、今施設に「ふみさん」という人がいるんですけど、裁縫が得意でもらった服に裾上げするんですよ。すごいおしゃれで、靴下を「さぶいから」といって3枚重ねてはいたり。とてもチャーミングで、この裾上げをするっていうことがふみさんの魅力だと思うんですね。

でも当時は福祉業界全体に、障がい者を効率的に働かせて給料を稼ごうという大きな流れが来ていました。自活するっていう意味では悪くないんですけど、お金を稼ぐことが目的になると取りこぼされるものも沢山あって。どう効率化させて障がい者を健常者に近づけさせるか。この流れからこぼれ落ちていく子たちは福祉施設の中でもできない人間のような、ダメな人間レッテルを貼られるんですよ。障がい者の中で「できる子」「できない子」「お給料をいっぱいもらう子」「手当がつかない子」という差別化をし始めてたんですね。これに違和感があったんです。

ーそれは福祉に明るくない私たちでもすごく驚きです。

すごいでしょ。その時に、働くっていうこと、働くことの哲学みたいなもの、何をもって働くなのかっていうことを自分の中で色々考えました。でも一般的な施設では「お給料をたくさんもらえることをモチベーションに会社にいくことが働く」という、浅はかな定義づけが蔓延していたんですね。どこの業界でもあることなのかもしれませんが、それを福祉施設の中でやることの切なさ、みたいなものがあって。結果的に施設からこぼれ落ちて引きこもる人もいたんです。職員側にもそういう風潮があることが、しんどかったんです。

でもふみさんの裾上げに魅力を感じるというか、こういうことの方がみんなから求められていることで、こちらの方がちゃんとお金がつく仕組みが作れるんじゃないか、そういう「仕事」をつくるのが面白いなと考えるようになりました。


また前施設でアトリエ活動をサポートしていたこともあり、障がい者アート(アール・ブリュット)の流れに感化されたところもありました。でもクッキーを作る班とアトリエ活動を比較すると「稼ぐ班」と「お遊びしてる班」といった評価になりがちなんです。この線引きは何から生まれるのか分析すると、やはりクッキーは「売れる」アトリエのものは「売れない」があるんですね。

これ、アトリエのものが売れたらどうなるんだろうと思ったんですね。なので陶器とかアトリエ活動で生まれたものを売る仕組みをつくったんですよ。で、めっちゃ売上が上がったんですね。100万円とか200万円とか。

それでも、やってみてもなお、「遊んでる」と見られる空気感は消えなかったんです。一種のアトリエ活動を深めるという部分での理解はあっても、全体の雰囲気がそうだった。もちろんみんながそう見ていたわけではないんですが。

ーこの話、すごく日本的というか、どれだけしんどいかが仕事で結局成果主義でない、という話のように感じます。

そう。それがやはり不思議だなぁ、と思って。福祉業界にはこういう行き詰まり感があるんだという話を、私が谷さんと出会った当時に喋ったんですよ。谷さん自身も仲間を集めているタイミングだったので、それなら僕たちと一緒にやりませんかという話になりました。


そして当時、育休を取得して生まれた私の子供もちょっと手のかかる子だったんです。これは福祉を仕事として面白がるだけじゃなく、当事者としてもうちょっと考えなあかんな、と思いました。

子供が入った保育園が、大自然の中で人間の土台をつくりましょうという方針だったんです。これもたまたまナナツモリで出会った友達がいいよって言ってたところなんですけど。一般の保育園に全く馴染めなかったうちの子の次の行き先として、とりあえず受け入れてくれればどこでもいいと思ったら、たまたま自然の中の保育園でした。

これがテレビ禁止!とか外食禁止!とか、別の意味でスパルタ教育なところで(笑)。当時私はそんなこと全然意識してなかったけど、とにかく子供を通わせてくれる場所に、という気持ちで、このひっくり返った英才教育を受けることになりました。

で、親はさらにスパルタで教育されるんですよね。そのスパルタに涙、涙で耐えて(笑)。そこで自然の中で過ごすことの大切さを、結果的に知りました。

ーそれはその前まで通ってらした保育園と比べて、お子さんの反応から違いを感じた、ということですか?

まーったく違いましたね。子供は変わらず問題児でしたが、指導が違いました。一般的な保育園なら、加害者である息子を止めますよね?でもそこの保育園は、被害者になりそうな子供に逃げろって指導するんですよ。逃げないあなたが悪い、と。その結果よくわからないけど怒られることは親である私も含めて減りました。

ーでも「共存する」という意味では、ある種正しい指導方法かもしれませんね。

かもしれない(笑)。そして自然の中で生きる力を育む。うちの子はものすごく食べるのが好きだったんですよ。で、それが最大の保育園で求められることなんですよ。食べることと寝ること。うちの子はそこにおいてめっちゃ優等生だったんですよね。だから褒められる。その時、あ、この子でも褒められることがあるんだ、と感じました。

こういう保育園で確かに救われたところがあったので、自然の中で過ごすという生き方はいいな、という風に考えるようになりました。そんな中、谷さんの山で活動しませんかっていうのはやっぱり魅力的だったんです。自分が実際に体験した手応えのようなものを表現するのが、私が魅力を感じている福祉という仕事、というのは面白いかもな、ということで、2016年にNPOなないろサーカス団をスタートさせました。

ーなないろサーカス団の設立当初について、もう少し詳しくお話を聞かせてください。

はじめは私自身も独立して本格的にやることを考えていなかったので、前施設で行っていたアトリエ活動を切り取って、その一環として陽楽の森に出入りしていました。でもやっぱり「組織の一部」というのは色々と不具合が出てきたので、NPOを自分たちでやってみることになりました。当時子供を通わせていた保育園で出会ったお母さんに「こんなんやったら手伝ってくれる?」というと「面白そうだから手伝うよー」ってことで始まりました。

今も一緒に活動している人なんですが、彼女が薬剤師なんですよ。普段は目の前の精神疾患を持つ患者さんに、何十錠のお薬を処方しています。彼女は患者さんに薬を処方しても絶対治らないことはわかっているんだけど、自分の社会的な役割としては薬でしか対応できないことに、悶々としたものを抱えていたんです。もっと違うコミュニケーションを取るべきだし、本当は相手の家に行って、おにぎりのひとつでもむすんであげるほうがこの患者さんにとってはよほど建設的なサポートだけど、自分にはできない。

このジレンマを少しでも解消するために、彼女は傾聴ボランティアを行っていたんですね。話を聞いてあげる、患者が「飲む」のではなく「出す」ことによって楽になるのをボランティアで経験していて。それなら一緒にそれを実践できる空間をつくらないか、ということで彼女と一緒に始めました。まだ薬剤師として勤めていて、薬のこともバリバリやってるんですけど、そんな彼女が事務とか書類作りをしっかりとやってくれるので私が実践に専念できています。

ー理想的な組織の代表と副代表、といった関係性ですね。

あ、そうかもわかんないですね。私が持ってないものを彼女が全部持ってくれてた、というのは大きかったと思います。本業の薬剤師をしながら、ここではお金関係の部分をしっかりと押さえてくれてて。また、本業で薬剤師をしながら兼業で福祉の業界に入ってくる、というのも面白いなぁと感じています。


ー現在、なないろサーカス団(以下なないろ)で行われている活動について聞かせてもらえますか?

なないろでは、内職作業のような効率を求める単純作業でない役割を、みんなに持ってもらいたいと思っています。ふみさんなら人にものをあげたりするのも上手だし、絵を描くのも上手だし、人柄も素敵だし。例えばこのふみさんが作った人形とか。他にもなないろのランチは、ふみさんと栄養士さんがメニューを一緒に考えて作っています。ふみさんが、どれだけこの人形をのびのびと作れるか、みたいなことは考えますね。中に綿入れて、ふわふわ感を出すテクニックを身に付けてるからね。

ふみさん:フェルトをね、丸く切るんですよ。ほんでそこへ綿入れて、自分で手縫い。

編集部注:あまりの可愛さにベタ褒めした結果、複数個の人形を頂きました。すごい嬉しかった。。。

ーこのような活動をされている人が沢山いるのが、なないろなんですね。

そうです。でも、なないろは就労支援施設なので団員にお給料を支払わなければいけない。その収入をどうしようかなって思った時に、王寺町と協働する事業を受託するようになり、それも収入源になっています。それをみんなでやることで、その他はみんな好きなことやっても大丈夫、という感じでやっています。収入を確保しながら、ふみさんのこういう時間をつくる。あとは料理をしたり、みんなで生活を回すことがそれぞれの仕事、役割になっていくように、ということは考えています。

ーなないろにいる人はみなさん自然体で生きている、という感じがします。

「鎧を脱ぐ」ということが我々のひとつの表現かもしれないですね。ふみさんは元々鎧を着てないけど、ガチガチの鎧を着たままここに来てくれる子もいる。その子たちの鎧をどう脱がせるか、というのは毎回テーマになりますね。

ーその鎧を脱がす際に、中川さんが気をつけていらっしゃることはありますか?

やっぱり、鎧は脱ぐ選択をする子と脱がないって決める子がいます。もちろん脱がないならそれでいいんですけど、やっぱり馴染みにくくなってくるんですよね。脱ぐ選択をした子は・・・やっぱりすごかった。特に心が疲れている子は、環境が苦しいって訴えてくるんですよ。私はこうなのに、こうしてくれなかったとか。その話を聞きながら「でも本当に苦しいのは自分が鎧を着てるからなんじゃない?」みたいな話をする。それで「あ、」と気づいた子は、今度は鎧を脱ぐことに一生懸命舵を切るようになるんです。この気づきを私が与えるという関係性でなく、ひたすら会話をします。会話の中で気づくまで、その子とずっとしゃべる。

仕事を与えるとかでなく、ひたすらしゃべって、相手のことを聞いて、傾聴して、ということの繰り返しの中で、利用者自身が枝葉を自分の力で伸ばしていこうとすることが、本当の就労支援だと思うんですよね。この仕事があるからこのスキルを身につけなさいっていう風にほとんどはそうなっているんですけど、その仕事につくかどうかも自分自身で決めるべきだし、その仕事に就きたいんだったら自分がやるべきことは自分でわかるだろうし。

あなたらしくいると意外と仕事って色々あるから、とか、自分自身が何かを手放すことによって入ってくるものもあるんじゃないかって話をしたり。それが多分、本当の就労支援な気がするんです。

ー相手とそこまでずっとコミュニケーションをするというのは誰でもできることでもないように思います。中川さんは元々そういうことが得意だったのですか?

・・・うーん、まあ私もそうなのだと思うんですけど、いろんな人を見てると、環境に理由を持ってくる人は大体、自分自身の生きづらさを環境に転嫁してしまってるから。そこの調整さえできたら、就労訓練とかそんなものは必要ないんじゃないかなっていうのは思ってたかも。

ー中川さんを見ていると「環境を活かす」ということがすごく上手な印象を受けます。変な質問ですが、なぜそんなことができるのですか?

多分そういう環境で自分が生きたいんでしょうね。だからもうきっと、私自身が縛られてたんだと思うんですよ、いま思い返すと。でも「そうじゃない環境で生きたいな」と思った時にないから、「つくったらどうなるんだろう」っていう風に思ったのかな。

例えば今ナナツモリで働いている幸佑くんには、福祉施設の中だけでは就職という選択肢は生まれなかったかもしれない。でも「そのままの幸佑くんがいてくれることでナナツモリの価値も上がるんだよ」と言ってくれるオーナーと出会うことで、幸佑くんの人生もナナツモリの何かも変わる・・・それをそっと見るのが好きなんですよね。

だからこれをやりました!とか、あなたたちもこうやりましょう!みたいなことは苦手で。そういう歯車がぴたって収まるような瞬間をただ見てる。私が求めているのはそれ以上でもそれ以下でもないです。それが原動力ですかね。


ー今現在なないろの活動で専念したいこと、宣伝したいことなどありますか?

宣伝かぁ。宣伝すると、商品になってしまうから・・・、

ーどちらかといえば仲間内にお知らせしておきたいこと、というイメージです。

なるほど、そういう感じか。人伝いであの人魅力的よっていうのが伝わる。それで興味をもった人がまたなないろを覗いてくれるといいなーっていうのは思いますね。やっぱり怖いんですよ。情報が一人歩きして何かが作り上げられる現象をいつも不思議だなぁ、と思って見てるんです。嫌な言い方すると、業界的にも美談を作りやすいからかもしれない。私自身はこの人といるとめっちゃ面白いからいてる、というモチベーションですけどね。

ーこれからなないろサーカス団の活動として、どういうことを企画されていますか?

最近「いちにの」という地域活動支援センター事業が始まり、森のピザ屋も始めようとしています。

森のピザ屋って?
陽楽の森でこの秋オープンを計画している地域食堂。元団員が起業した薪屋さんから仕入れた薪を使い、本格的な薪グリルで焼き上げた安価で食べられる。毎月第3木曜日、KUBERU横にて開催中!

少し話は変わりますが、一般の福祉施設では規模感が重視される傾向にあります。その「城」を広げることに皆さん意識を向けるんですが、城を広げたことで何も生まれないというか。私にとって大事なのは、城を大きくするのではなく「平家の一戸建て」に活動をどう切り離していくか。活動の中で思いを持った人が生まれて、仲間が独立して、一緒に協働していくことで、やることの可能性は増えるけど、我々自体はスリムなままで居続ける。これはやりたいことですね。

このあいだ「虹の家」というグループホームが団員のお父さんの起業で始まりました。なないろ自身が住まいまでつくる、というのを社会に求められたんですが、私自身はこれ以上忙しくなりたくなくて。将来必要になると思うけど我々には出来ないので、お話が上がった時に「ご興味あればどうですか」と伝えたら、やりたい方のニーズと合ったんですよね。そこと連携して、今なないろの団員達が住まいとしてお世話になっています。

小さい組織が支えあって社会を回していく、そっちの方が絶対面白いと思うんですよね。でもひとつのところで権力を持ちたがる人もいる・・・あれなんなんですかね(笑)。

ー最後に、中川さんが陽楽の森で今後「こういうことがしたい」があれば教えてください。

なんかねぇ、あんまりないんですよ(笑)。私たちがこういうことをやりたいというよりは、何かと何かが生まれ、そのつながりの隙間を埋める役割の方が面白いと思ってます。なので「城」を大きくしたい人がいるとちょっとめんどくさい(笑)。スリムな状態で、とりあえず面白いことのエッセンスは逃さずやってみて、その数がどんどん増えて。それを私じゃなくて、また別の誰かが立って、その結果組織が増えていく、そういう方が面白いと思います。

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陽楽放送局編集部
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陽楽放送局編集部

Youraku Housoukyoku Henshubu

陽楽放送局を立ち上げるために集められた集団。サイトデザイン、記事内容など全て自分たちでやっています。陽楽の森を中心に、半径5km以内で起こる面白いことや面白い人を記事として取り上げ、森・人・まちを盛り上げます。

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