陽楽な人々に聞く|伊藤ふくおさん

陽楽な人々に聞くって?

陽楽の森のプロジェクトには、分野を超えて様々な人々が関わっています。林業、まちづくり、自然環境、福祉、建築をはじめ、とにかく一般的には協働することがない面々が自主的に集まっているのです。それはとっても面白い状況ではありますが、分野が違いすぎるあまり、お互いにどのようなバックグラウンドを持っているのか、どんなことを考えているのか、理解する機会がなかなか得にくい気もします。素直に枠にはまらない特殊な人間も多いので、そもそも予測不可能という話もあります。

この連載は陽楽の森に関わる様々な人たちの「これまで」・「いま」・「これから」をインタビュー形式でお聞きすることで、関わる人々への理解を促し、さらなる人同士の化学反応が起きるきっかけになることを目指しています。

ゆるっとした連載で進めていきますので、いい意味で変な人が多い陽楽の人々を丸裸にすることは諦めています。気になることがあればぜひ本人へ!

-今回は昆虫生態写真家として活動されている伊藤さんに、最近出版された図鑑のことを交えながら活動の内容や今後についてお伺いできればと思います。まずはどういった活動をされているのか教えてください。

伊藤ふくおです。僕の飯の種は写真を撮ることです。昔から昆虫が好きでずっと昆虫を撮っているのですが、元々はファッションとか工場のパンフレットとか様々なジャンルの商業写真をやっていました。当時の会社は大阪の天王寺で相方と二人でやってましたが、その傍らでやり始めた昆虫生態写真家が本業になり、今の形になりました。

-どのような流れで陽楽へ関わることになったのですか。

40数年前に引っ越してきました。まだ陽楽で生コン屋さんが活動している時ですね。当時大阪の天王寺に住んでましたが、どこかちょっと郊外の空気のいいところに住みながら大阪に通おうかなと思ってたんです。

その頃、たまたま陽楽の上にある片岡台という団地が募集してたんで、それで申し込んだらポコッと当たってしまったんです(笑)。色々探してというわけではなく、たまたま。それでJRの畠田で降りて片岡台まで向かう中で、その頃バスがあったかは忘れたんですけど、行く途中ですごく格好いいテーダマツの林があるんです。そこにハルゼミという春先に出てくる、皆さんがあまりセミと感じないようなセミが鳴くんですね。それが住んでいるのは素敵だなと思って。眺めながら「良いところに当たったなぁ」と思ってました。

20代後半くらいだったと思うんですけれども、商業写真から昆虫生態写真の方に重心を移して活動し始めた頃、冬場の陽楽の森に、かつてはキチョウと呼んでいたんですけど種名が変わってしまったキタキチョウという黄色い蝶々がいるんです。それが成虫越冬するんですね。

鱗翅(りんし)学会でも、どういうところ、どういう方法で成虫越冬しているのかとか、その辺の研究をしている人が全くいなかったんですね。で、たまたま冬場にここへ来て、おみやさんの参道を歩いとったら常緑樹の葉っぱの裏側にキタキチョウがおったんで「この後どうなるんや・・・!」と。その辺がきっかけですね。

-その時に陽楽で出会った蝶がきっかけというのは伊藤さんらしくていい話ですね。お仕事を商業写真から昆虫生態写真にへシフトした経緯など教えてください。

商業写真をやってる傍らずっと何かを撮りたいなと思ってました。虫は昔から好きで、嫌いとか怖いとかそういうのは全くなく、何でも触ってました。中学校時代に生物部に入っていたので、そこら辺も一つの要因かなと思います。

一番最初に好きになったのは蝶々のグループです。蛾全体ではなく、要は鱗翅目の中にある蝶類という240種ほどですかね。日本で身近にいるアゲハチョウとかモンシロチョウとか、そこら辺の仲間を最初は見ていました。特に興味があったのはその生態ですね。住んでいるところや、何で同じ植物しか食べないのとかね。

それで選んだのが昆虫でした。で、その昆虫を撮ってたら本になるんじゃないかというので、そういう活動を始めたのが昆虫生態写真家の出発点ですね。


-すみません、ようやく今回の本の話に入ります(笑)。まずはご出版おめでとうございます。ゴキブリの図鑑ですが、こちらはどのように始まったのでしょうか。

商業写真から昆虫生態写真の方にシフトする中で、ひかりのくにという幼児向けの出版社があったんですね。そこの編集長とたまたま知り合いになって、一緒にフィールドへ出始めたんですね。

それで付き合いがだんだん深くなっていく中で、彼も何て言うか不人気昆虫、その頃は蝶々やカブト、クワガタの図鑑はあるんですけれども、他のこういう不人気昆虫の図鑑がなかったんですね。それでできればゴキブリのちゃんとした図鑑を作りたいなと言って、それから30何年。途中でその彼はもう亡くなってしまったんですけども、そんなきっかけで取り敢えず作ろうということでやり始めて。

-ウッとなるのもありますが、全体的に何か瑞々しさというか、美術品のような美しさを感じます。

最初はなかなかね、乾燥した標本を撮ろうと思ったんですけども、乾燥してたらもう肌の艶とか翅(はね)の様子とかが全く違うんですね。特に毛の生えてるやつは乾燥標本になってしまうとみんな毛が抜けてしまうんです。

その点は昔からずっと模索してたんですけど、とりあえず生きた状態で写真を撮るという撮影技術をちゃんと先に確立したんです。で、全部生きてる状態の写真を撮りました。

-生体ならではの瑞々しさなんですね。しかも触覚もきちんと伸ばした状態での撮影というのは、やはり特殊な技法が必要ですよね。もし聞かせていただけるなら・・・どうやって撮ってるんですか。

それはまぁ企業秘密なんですけど(笑)。まぁ、普通に薬品で弱らせて、無反射ガラスの上に両面テープの上でちゃんと纏足(てんそく)をして、翅も広げて撮るという。

-聞いておいてなんですが、企業秘密を明かして良いんでしょうか。

これ教えてもね、多分やった人はみんな翅を破るんです。

この図鑑より前の話なんですが、橿原の昆虫館の運営委員に内藤先生という神戸大学の先生がいらっしゃって、ハバチの先生なんです。その先生と一緒にハバチの図鑑をつくろうとなって。でも今までの乾燥標本じゃいややなと。ちゃんと毛も立ってるし、お腹の張りもちゃんとあるというのを撮影するこの方法を、その頃に編み出したんです。

-2011年頃のバッタ・コオロギ・キリギリスの図鑑も同じ手法で撮られてたと思うのですが、その技法を確立されたのはいつごろなんでしょうか。

その図鑑もね14、15年ほど掛かってるんで。逆算して大体1996年くらいかな。

-やはりどれもそうですが、1冊あたりにかかる時間が途方もないですね。

いや、もうだから大変です。これは直翅類のバッタ・コオロギですが、これも全部生きた状態なので。今までだったら真っ黒けで掲載されてて、直翅なんかは死んだらすぐ体の色が変わってきますからね、もう全部生きたままで。

今回のゴキブリの図鑑は、結局その最初からだと20年近くかかってしまっているんですね。これをやり始めて2010年位の時に、南西諸島にいる知り合いでゴキブリを捕ってくれる人がおって、森に入って捕れたらすぐウチへ送ってくれたりとかもありました。

-今回のゴキブリ図鑑の中で気に入っているものや、おすすめポイントがあれば教えてください。

特には無いです(笑)。ゴキブリ全体の中でクロゴキブリとかが代表になってますけども、そこら辺のイメージをちょっと払拭させたいなと思ってて。こんなきれいな体をしてるんだよ、こんな機能的な体なんだよというのを、皆さんに浸透できればありがたいなと。こいつは綺麗だなとか、そう感じていただければこの図鑑を作った甲斐があったなぁと。

皆さんがそれでゴキブリのアレをちょっとでもアレしていただければいいなと思うんですけれども、なかなかやっぱりそういうわけにはね(笑)。苦手な人も、もしどこかで私のお話を聞いてくれる機会があれば嬉しいです。

ひっつきむしの図鑑は、秋篠宮様の奥様である紀子様に賞状を頂いたそうです。すごい。

-伊藤さんの本は図鑑形式が多いですね。

今までの図鑑でしたら、なかなか頭とかお腹とか、それから雄雌の区別とか、そういうのをちゃんと見られる図鑑というのがほとんどなかったんです。なので図鑑として、ぱっと分かる、役に立つものをつくろうと。そんなときにハンディタイプだったら屋外にも持って出れますよね。大きいのも飾っとく分にはいいんですけどね、重くて(笑)。

それで、虫の紹介をするときって前・後・横の大体3枚ぐらいのイメージなんです。その3つの特徴をみんなそろえれば確実にそれだというのはわかるんですけれども、なかなかそれだけでは難しいやつもあって。僕の図鑑でもなかなかね、ちゃんとできているかというと、そうでもないやつもあるんです。だから、そこら辺をできるだけ近づけるために多方向から細かく撮ったのもあります。

-実践的に使えるものを、という方針なんですね。生息地での写真などは狙って撮れるものなんですか。

時期と生息場所さえ考えて行けば大体当たります。ただ実際に見つかっても、イメージ通りのところに居るかどうか、イメージ通りのポーズをしてくれるかどうかとか、脚が欠けてたりとかもよくあるんですよ。それに生息場所も写り込みますからね、コンクリートの上では良くないとか。

-確かに出会うこと自体も運要素が大きいですが、さらに図鑑向きな状態に出会えるかというのは難しいですね。

ちなみに、今ずっと継続で力を入れてるヒオドシチョウという蝶々がいるんです。この蝶は越冬して、春に目覚めて卵を産みます。それで生まれて成虫になったら今度は夏越して、秋になったら降りてきて越冬するという生態なんですね。そういう体になっているという、構造としては分かっているんですけども、「なんでそんな生き方するの?」という(笑)。

恐らく食草にしているエノキが関係してるんじゃないかなと。卵から出たときに食べる葉っぱは、やはり春のこういう状態のが一番よくて、秋口の枯れそうな時に一生懸命葉っぱ食べても駄目やから、秋はやめようってなったんじゃないかなとか。

とはいえ一応彼らには、越冬と夏越の生態があることになる。越冬生態は何個体かデータがあるんですけど、夏越のデータというのが大台ヶ原で見られた1回だけなんです。それもたまたまで、鹿がどんな被害を与えるかというので環境省が作った柵の調査に行ってて。そこでたまたま木をポロってやったらおったんです(笑)。

だからそのデータしかないんですよ。大台ケ原の熊笹の笹っ原の中に倒木があって、その下に居たという。それ以後も何回かチャンスはあったんですけれども全然見つからず、偶然だったんです。

-たまたま「する」か「しない」かの差が大きいんだろうなと思いました。とにかく好きで、常にそういう頭で見ているからというか。

そういう目線も成虫越冬する昆虫がきっかけですね。越冬してるやつは動かないですから、常にどういうところに居るんだということを頭に入れながら、こういう形で越冬してるんだろうなと考えながら探していく。ものの見方が全く違ってくる訳ですね。

それを教えてくれたのがこの山なんです。片岡台から冬場トコトコっと歩いてきて、入ったら「あぁ、やっぱりキタキチョウおるやん」って。ただ、当たった時は嬉しいんですけれども、当たらないことも多いんです。地味な仕事なんです、好きじゃないとできませんよね(笑)。


-昆虫生態写真のまたその傍ら、一般参加者の方と散策する「ふくおと歩く」を続けられていますが、これはどのような流れで始まったのですか。

しょっちゅうフィールドに出てたわけで、そしたらやはり何かの形で記録として、印刷物でもなんでもいいので残しておきたいなと思って。最初は自分一人でやり始めたんですけど、それはもったいないなと。知り合いに「こんなんやるよ」って送ったら、一番興味を示したのが子どもでした。横ではしゃがれても困るのであまり来てほしくなかったんですけど(笑)。

でも興味を持ってくれているので、じゃあ月に1回こういう形でやろうかと始めたら、かれこれ200回を超えました。まぁちょっと一区切りで、今は一ヶ月お休みをいただいたんですけども、みんなが「次はいつやるんですか?」って。

子どもたちが、僕が見つける前に「ここにおったよ」って教えてくれるので、なんかそれもいいかなと。それで育っていって、そこから東京農大の昆虫界隈へ行った子もいました。中学生の時に参加しだした子で、高校のときに「農大行きます!」と。かなりセンスの良い子だったし、うん、良かった良かった。

-以前参加させてもらいましたが、虫が好きな人たちの中で育つと、虫が苦手だとか怖いという感情すらわかずに育っていくんだろうなと感じました。なんとなく虫が苦手な人も、周りの反応に引っ張られているんだなと。

それはやっぱりご両親の教育のおかげなんですね。基本的にはね、そういう風に怖がらないと思うんですよ。周りに居る大人が「危険だから触るな」とか言いますよね。カメムシなんかは触ってみたりして「臭ぁっ!」っていうたらそれでいいやん(笑)。

だからあまりそういう前持った知識で「刺されるよ」とか「噛まれるよ」とかね、あんまり言わんほうがいいんじゃないかなと思いますね。よほどヤバイやつはサポートをしないと駄目だと思うんですけども、それ以外はもう、ちょっとぐらいは頑張れって、ちょっとぐらいは支えて、と思います。


-陽楽の森を生態系という視点から見た時に、他にはない面白いところなどはありますか。

いや、全く他の里山と変わらないです(笑)。ただ、私が山に入って土を掘ったり樹を切ったりとか、自由にやらせてもらえる環境もありますね。他の山の持ち主がいるところへ行くとなかなかできないですから。そういう意味ではここは私にとっては非常に良い環境ですね。

ほんで陽楽の森を整備するということで、この間も下草や笹が全部刈られてましたよね。その後また次の生態系がどういう風になっていくのかっていう、そういう楽しみ方もあります。だからあくまでもその山の持ち主さんのサイクルに合わせていろいろ見ていくのが、楽しいと思うんですね。

同じような環境のところはいくつもあるんですけど、香久山とか甘樫丘みたいに国が管理してて市とかが草刈りとかやってるところがありますよね。そこも見ていてそんなに大差はなく、いずれまた同じように変わっていくだろうなと。いなくなるやつもいて、また新しく入ってくるやつもいる。そういうのを繰り返してますね。

だからあんまり生態系を守ろうとしてどうのこうのは、やらない方がいいんじゃないかなと。ただ草刈りするだけでも、これはこの蝶の食草やからちょっと遠慮するとか、そういうことをやれば全く問題ない。それに遠慮したからといって増え過ぎると天敵がバッてきますから抑えられるという。だからね、自由に使いやすく人間が考えるようにやってても別に問題はないんじゃないかなと私は思います。

-人が何かするしないに関わらず、その森に適した生態が生まれているのですね。陽楽の森を長年見られていて、その中で大きな変化は何かありましたか。

大きな変化といえるものはあまり無いですが、昔に比べると谷林業さんが関わりだしてから何か生態系がちょっと変わって増えたような気はします。手入れするところ、ちょっとほったらかしにするところ、そのバランスが上手いことできてきたのかなと。僕にとってはそういう印象を受けてるんですけれども、今後あと10年ほどしてデータを取り直したらどんな結果が出てくるのかは分からないですね。

-これからの陽楽の森に何か期待されていることや、やってみたいことはありますか?

ハルゼミの観察はできたら継続させたいです。キタキチョウが越冬できる場所もありますので、そこもね。あとは、子どもたちがわいわい騒げるような、何かそういう風な環境があると面白いかなと思うんですけどね。今、手入れしたりとか苗木をちょこちょこっと植えてたけど、そういうのでいいんじゃないですかね。

-ありがとうございます。最後に、次回の図鑑に向けて、今追いかけている虫がいれば教えてください。

直翅類は全部やりましたので、あとはやはり不人気昆虫。ガガンボとか蚊とかハエとかそこら辺の網をちゃんとしようかなと。またやり始めると何十年とかかってしまうんですけどね。

特にガガンボの仲間で、体がすごく大きなやつがいるんです。研究者が少ないというのもあって、図鑑も「これぐらいのグループだけでいいんじゃない?」という扱いをされる。だからちゃんとしたいなという思いがあります。ただ、私の知ってたガガンボの学者さん亡くなってしまったので、どうしようかなという。まぁ何とかなるんじゃないかなと思うんで、何年後かを楽しみにしていただければ(笑)。

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Youraku Housoukyoku Henshubu

陽楽放送局を立ち上げるために集められた集団。サイトデザイン、記事内容など全て自分たちでやっています。陽楽の森を中心に、半径5km以内で起こる面白いことや面白い人を記事として取り上げ、森・人・まちを盛り上げます。

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