陽楽な人々に聞く|辻好弘さん

陽楽な人々に聞くって?

陽楽の森のプロジェクトには、分野を超えて様々な人々が関わっています。林業、まちづくり、自然環境、福祉、建築をはじめ、とにかく一般的には協働することがない面々が自主的に集まっているのです。それはとっても面白い状況ではありますが、分野が違いすぎるあまり、お互いにどのようなバックグラウンドを持っているのか、どんなことを考えているのか、理解する機会がなかなか得にくい気もします。素直に枠にはまらない特殊な人間も多いので、そもそも予測不可能という話もあります。

この連載は陽楽の森に関わる様々な人たちの「これまで」・「いま」・「これから」をインタビュー形式でお聞きすることで、関わる人々への理解を促し、さらなる人同士の化学反応が起きるきっかけになることを目指しています。

ゆるっとした連載で進めていきますので、いい意味で変な人が多い陽楽の人々を丸裸にすることは諦めています。気になることがあればぜひ本人へ!

-今回は辻さんに、これまでの経歴を伺いながら、陽楽の森で今されている活動や今後についてお伺いできればと思います。まずは改めてお名前とお仕事の内容についてお聞きしていいですか。

辻好弘です。木工教室を運営しています。その木工教室を福祉と林業に活かせないかなということで、陽楽の森で活動しています。

-そもそもどういう経緯で陽楽の森に関わることになったんでしょうか。

以前の職場が木工教室で、そこでオーダー職人として務めた後に、木工教室の方に指導していたんですね。その後、若いスタッフも育ち、また、世情の影響で教室を辞めることになりました。

そこでどうしようかな、と迷っていた時に、以前から僕にちょっと興味持ってきてくれていた陽楽プロジェクト主催の泉さん谷さんからお声がけいただきました。

でもその時は、陽楽の森に木工機器を入れて木工教室を運営する、というお話だったので、前の職場と同じ業態の木工教室をやるのは心苦しい部分もあり、お断りしていたんです。単なる木工教室ではなく、あくまで林業に活かせる場所という導入ができるなら、そこまでのお手伝いはしますよ、ともお伝えしていました。

そこから色々とありまして、最終的には木工を通じた陽楽の森への入り口をつくることをお願いされまして、ここに来ることになったという流れですね。

-そこから心変わりされる際、陽楽の森に参加する決断ができるだけの何かきっかけがあったのでしょうか。

3回目の打ち合わせに参加したときですかね、田村さんゴリさん伊藤さんみたいな主要なメンバーにお会いして。建築士が手伝ってる、大学教授が手伝ってる、デザイナーもいて「めちゃくちゃ強いじゃん」と。これは木工教室そのもののカルチャーを変えられる、一緒に変えてくれる仲間がたくさんいると感じた時に、参加できると思いました。谷さんたちはまるで詐欺師みたいだけど(笑)、とにかく壮大な詐欺をやっている。フィクションに聞こえるような大きな物語を描いて、大きなことをやってくれそうだなと思ったんです。

-はじめてお会いした時に木工をされていると伺っていたので、木工作家としてプロジェクトに参加されたと思っていたのですが、そうではなかったんですね。

まったくないです。過去、木工作家を志したこともあったんです。ただ木工作家を志すとなると、工房を借りるのが面倒くさい。以前の職場では、木工教室で教えながら僕もここで好きな作品をつくらせてもらう、というかたちで所属していたんですが、その時「自分でつくる」よりも「一緒に作ってできていく」ことが自分にとって一番の楽しみになっていることに気づいて。

制作系の教育現場に携わったことがある方はわかると思うんですが、実際問題、生徒が作るのを手伝った後で、さあ夕方から自分がつくろうかという頃には、めちゃくちゃクリエイティブ吸われてるんですよ。その時に、それが嫌かどうかというと、嫌でもない自分に気がついたんです。色々なものが世の中に出回ってる中で、自分のオリジナルの作品をつくるよりも、木工に興味を持ってくれる人が増えて、その人たちに作ってもらう方が自分にとって価値があるなと。それで最終的には教室の方に専念しました。

-そもそもなぜ木工の世界に進まれたのでしょうか。

僕、二十歳過ぎの頃、テレビ局でディレクターとして勤めていたんです。その時の職場の近所に家具屋さんがあったんですよ。で、たまたまその家具屋さんに興味を持って「見せてくださーい」って遊びに行ったら、可愛がってくれて。そこで週末に色々教えてもらってたんですよ。

-テレビ局のディレクターをされながらということですよね。

そうですね。平日は働いて、土日は自分の家のものを作りたいと思って通っていました。25歳くらいから30歳くらいまで何となくそこで家具を勉強してたんですけど、やっぱり体系的に勉強したい気持ちがあって。例えば「椅子の作り方」とか「箱の作り方」というような漠然とした作り方を教えてもらうよりも、木の特性や加工技術の本質を理解したいなと。そこから本格的に勉強するために30歳の時に職業訓練に通って、31歳からは家具屋さんでしごかれていました。

-テレビ局のお仕事から完全に木工の世界に進まれるきっかけみたいなものはあったんですか。

ターニングポイントになったのが、東日本大震災で。その頃メディアの世界にいたので、映像ディレクターとしてCMとか企業VTRなどを担当していました。その時に、ふと自分の仕事について考えたんですよ。メディアとして現状の記録は残るけれど、これって時代と共に消えていくものだなと。報道はちゃんと残ると言えば残るんですけど、CMなんてすぐ消えていくんですよ。企業VTRも。

その時に手触りに残るものを作りたいと思って。じゃあ前からやりたかった家具をやろうかな、という流れで、今この道にいるっていう感じですね。

-辻さんご自身が木工に至る過程や、伝えるお仕事をされていた前職がそのまま今のお仕事につながっているように感じます。自分がつくるより一緒に作る、木工に興味を持つ人増やす、というお話はとても辻さんらしい木工への向き合い方だと思いました。

教室の生徒さんが、わからないモヤモヤをわかってあげられるっていうのも一つ強みだなと思ってます。


山で活動させてもらっている福祉団体がいる。さらに山で活動している林業の団体もある。どちらも、一般の方と繋がる部分がなかなかない業種だと思うんですね。福祉は、地域との繋がりを持つのはなかなか難しい。林業は木を切り出したとしても、その後出された木を加工して一般の方に届ける工程は別の業態の仕事で、一般とのつながりが分断されている。これらのつながりの部分を埋めるのが「木工」だと思うんです。

陽楽の森にはその「木工」の機能がなかったんですね。料理に例えるならば、海産物を収穫して料理人に届けて料理をする、というフローにおける「料理をする」部分がない。ということで「半林半福(はんりんはんぷく)」といいますか林業と福祉の中間的な立ち位置で活動しています。このあたりは自分でも面白いな、と感じているところです。

-具体的にどのようなところに面白みを感じていらっしゃるのでしょうか。

僕は単に教室がしたいというよりも、知的障害のある方々や、社会と関わりを持たない引きこもりの人たちに、木工やこの場所に興味をもってもらいたいと思っています。ゆくゆくはその障害のある方たちが僕と一緒に作業する中でインストラクターとして一般の方に指導できるような仕組みづくりができたらいいなあ、という風に考えていて。「いちにの」はそれを自由にやらせてくれる場所ですね。大和森林管理協会谷林業株式会社にもそれを認めていただいて、切り出してきた木を社会に出していく部分でのマッチングを目指しています。

運営母体であるなないろサーカス団中川さんもめちゃくちゃ面白い人なんです。これは僕の私見ですが、多くの福祉団体における就労補助は、すでにある設備や仕事に対して入所者にどこに入ってもらうか、という容れ物に対して人を入れていくようなフォローが多い印象なんです。中川さんはそれをせずに、この人は何が得意かということを徹底的に会話の中で探して、その能力を引き出していく。それを就労に繋げていくので、すごく面白いなと思っていて。中川さんに期待しているところでもあります。

-少し話がそれますが、辻さんが木工の話されるときに料理の例えが多い印象があります。何かそこには思いや考えがあるのでしょうか。

なんだろうな。ほんとに木が一般の家庭で、料理と同じように使われてほしいっていうところですね。ほんと壮大な夢でほぼ不可能に近いんですけれど。昔はお父さんが子供に机作るっていう時代でしたし、僕も実際そんなことをしてもらってたんです。それが身近じゃなくなって、買うことが一般的になった。もちろん僕だってイケアもニトリも大好きです(笑)。

買う人の生活に足りないものを補う目的としてはそれで十分だと思うんです。けれど、自分でも作ることができて、材料の性質や完成に至るプロセスを想像できる人がそれを買う場合と、自分では全く作れない人がそれを買う場合では、価値の理解度が全く違うじゃないですか。

例えば家具の材料の理解度を料理の話に置き換えて、鯛と鮒のお造りが出されたとします。それを見た人が「お造りだからどっちもかっこいいね、でも鯛はなんか高いよね」って言っている。そんなことが木に対して起こっている気がします。

-辻さんが木工を教える時に大事にされていることって何かありますか?

安全第一ですかね(笑)。

まあそれは基本として、やっぱり作りたいものをすぐ作れるっていうのは絶対的に必要だと思っています。体系的に木工を習いたい、という方も稀にいますが、すごく敷居が高いと思うんですよ。本当に一から教えるとなると、まずはかんなの研ぎ方から、とかになる。そうではなくて、料理で言えば「美味しいパンが作りたい」という人に対してパンの作り方に集中してその人にお伝えする、みたいなことは大事にしてますね。来た方の目的に沿っていないと、最終的に木材とか技術とか、そういった細部に目を向けるところまで行けないので。


-辻さんは木工という軸を持ちながら、色々な方面に幅を広げていくように活動をされているように見えます。そうしたい、と思ってそうなったのか、なりゆきだったのか。そこ対する辻さん自身の思いがあればお聞きしたいなと思っています。

なりゆき、ですかね。メディア業界を辞めた時も状況としてはなりゆきとも言えるので。なんでしょうね。人間も、ひとつの木、な訳ですよね。どっかに根っこがあって、幹があって、枝葉が生えて、というかたちになってると思うんです。

今聞かれてるのは木の幹の部分ですよね。幹は、なんとなく僕が生きている通りで、趣味だったり楽しいと思うことだったり、色んなことが関係しているように感じます。それから根っこ。物事を考える時に、根っこは何だろうということは常に意識していて。この質問だと自分の根っこは何かという話なんですけれど。何だろうなあ。元々地域性みたいなのが好きなんですが、やっぱり自分の根っこも地域性ですかね。

僕、佐渡島生まれなんですけど、うちの親父がかっこよくて。半径3メートルのことしか信じないんですよ。信じないというか、変な噂を信じない。田舎なんで、誰々さんが何かあいつの悪口言ったぜ、みたいなことが多いんですよね。

-狭い社会なので広がりやすいですよね。

そういうのを、うちの親父は聞かないんですよ。見てないから、その話はわからないと言う。もし噂話を聞いてしまったら、その人に会った時に自分とその人の関係も変な感じになりますし。だからもう、半径3メートルの中だけは、みんな知り合い、友達、で信用するようにしてる、みたいなことを昔親父が言ってて。そこですかね。僕はなんか、そこが自分の芯のような気がします。

だから、コミュニティで実際にこうやって顔を合わせてお話できる、誰かが何かをしていて、それを誰かが感謝しているのが見える。そういうコミュニティを大事にしたい。

そこらへんが僕の軸であって、木工であって、まさに木が生えてる陽楽に、ふらっと呼ばれて来た、流されて来た、みたいな感じだと思います。

-辻さんにとって「地域性」がキーワードになっている一方で、一番最初に選ばれたお仕事が「メディア」という遠くにいるたくさんの人に情報を届けるお仕事なのが面白いですね。最初にメディアを選ばれた理由は何だったのですか?

僕、大学ではなくデザインの学校を出ているんです。そもそも本当は美大に行きたかったんですけど、そんな金ないって断られて。それで、グレてデザインの学校に行ったんです。その頃ちょうどライムグリーンとか色んなカラーのMacが出て。裕福ではないんですが、何とかあれを買ってもらったんです。そのMacがとにかく面白くって、もう四六時中いじっていましたね。リキテンスタインのタッチをどうやってIllustratorやPhotoshopで再現するか、みたいなことをずっと一人でやっていました。ピクトグラムを自分で作るのも好きだったし、ロゴも誰かに頼まれたわけでもないのに作っていたし。

で、学校でも良いポジションで卒業して、フジカラー系列の制作会社に入ってデザインをやってたんです。そこでなぜか3ヶ月で映像部門に配属されて。

-ある意味ではなりゆきだったんですね。

めちゃめちゃなりゆきです。そしたら今度は映像ソフトをいじり出したらめっちゃ面白くて。何にでも興味持つところが、持てるところが自分の取り柄というか。だから、今の仕事でも押し付けがましくなく福祉に寄せられたらいいなと思っているところはありますね。


-最後に、これから陽楽の森での活動の予定があれば教えてください。

まずはワークショップ、ですかね。それから難しいけれど、陽楽の森関係で山から出てきた木をそのまま使うような家具制作。あとは、木工だけに限らず色んなクラフトがここでできるといいですね。僕だけじゃなくてたくさん協力してもらえる人がいるから。僕だけじゃなくて、グラフィックだったり、プロダクトだったり、陶芸があってもいいし、溶接なんかもあっていい。

そういう陽楽の森の図工室みたいな存在として工房を活かしていきたいですね。誰でも通いやすい、世代を問わない、みんなのもの、かつ他にいろんなものが入ってくる要素を残していく、というようなイメージです。

-陽楽の森がこうなったらいいなというようなイメージはありますか。

どうなんだろう・・・あんまりないかなあ(笑)。漠然と、今集まってるメンバーなら良いものができていって、それが良い結果になりそうな気がしてるから・・・そこに期待したいです。自分で何かをどうしたいっていうのは今のところそんなにないですね。

この記事を書いた人Writer

陽楽放送局編集部
投稿者のアイコン

森とまちをもっと楽しく

陽楽放送局編集部

Youraku Housoukyoku Henshubu

陽楽放送局を立ち上げるために集められた集団。サイトデザイン、記事内容など全て自分たちでやっています。陽楽の森を中心に、半径5km以内で起こる面白いことや面白い人を記事として取り上げ、森・人・まちを盛り上げます。

関連記事Related Articles

陽楽な人々に聞く|中川直美さん

陽楽な人々に聞く|伊藤ふくおさん

お便り
お便り

キーワード検索