森林の単語録|第2回

森林の単語録って?

皆さんは森林についてご存知でしょうか?知っているような気がしているけれど、実はよく知らない人がほとんどではないでしょうか。林業関係者と話をしていると、私たちが当たり前に使用している言葉でさえその精度や捉え方の違いに大きく驚くことがあります。毎回こぼれ話のように聞くそのお話がとても面白いので、森林管理を仕事にする大和協の松山充さんにエッセイの寄稿をお願いしました。1つのワードから始まる私たちの知らない森林についてのあれこれ、皆様も是非ご堪能ください。
※あくまで個人の主観に基づく内容ですので、専門家のご意見・ご批判等は受け付けておりません。

第2回|竹の整備と除間伐

陽楽の森では「みんつく」の活動が行われている。みんなで陽楽の森を整備していこうという参加型の団体活動だ。昨秋からは斜面の竹林整備を重点的に進めていて、伸び放題荒れ放題だった孟宗竹が、すでにかなり取り除かれた。もさもさと覆っていたものが無くなり、小高い稜線まで見通せるようになり、気持ちが良い。散髪後の快感に似ているかもしれない。

ひとたび土地に竹が入ると、樹木より圧倒的に成長が早いので、すぐさま竹が一帯を占領してしまう。正確に言えば竹はいわゆる「木」ではないし、竹は竹で有用な資源ではあるのだが、他の木々を差し置いてかなりの速さで伸びるので専ら厄介者とされる。竹が盛んに茂っているところは水分豊かなところである。他の樹木にとっても条件の良い場所なのだ。再び樹木の茂る森林に戻したいなら、とりあえず人為的に竹を取り除くしかない。

植物はなぜ上へ上へと伸びたがるのか。哲学的な話ではなく、たくさん光合成をしたいからである。光合成ができれば栄養分も増やせるのでより高く成長し、思う存分に空中で枝葉を展開することができる。反対に光合成が不十分だといつまでも小さいままで、他の木に頭上を覆われてしまうから光が届かず、ますますジリ貧になる。樹木の種類によって、ひょろひょろと真っ先に背が高くなるスピードタイプや他の木が倒れたギャップに枝を伸ばす大器晩成型、少ない光量でもしぶとく生き続ける忍耐屋などがあるため、一概にどの樹種が生存に有利不利とは言えない。木々の上の方にある枝や葉の塊を樹冠と呼ぶが、森林はその樹冠同士の、静かなるせめぎ合いの場なのだ。

したがって基本的に、日本の森は放っておいても勝手に育って勝手に枯れてまた生えてくるのだが、林業において生えてきたものをあえて取り除くという行為はよく行われている。育成目的と異なる種類の木を除去することを除伐といい、残す木の成長を促すために同じ種類の木の一部を間引くことを間伐という。「みんつく」の竹林整備は、行為としては除伐に分類されるだろう。ただし育成したい樹種はまだ決まっていない。

除伐も間伐も、狙い通りの樹木を将来収穫するための手段である。教科書的には、森林の多面的機能を高める意義もあるらしい。しかしその手法の把握はなかなか一筋縄にはいかない。思い付くだけでも、下層間伐、その逆の上層間伐、択伐的な間伐、中層間伐、さらには育成木施業なるものも出てきた。この流派(スタイル)の多さは一体何であろうか。もちろん自然科学的に納得できるものもあるが「それってあなたの感想ですよね」と問いたくなるやり方もある。元々は育てる木を残すための手段であるのに、昨今は伐ること自体が目的になっている感がある。全国の木材自給率を上げることに必死な林〇庁が率先して、列状間伐や群状間伐などをわっしょいしているのは目も当てられない。

一年サイクルの野菜花卉とはちがい、数十年スパンで生きる樹木に対して我々ができることは限られる。余分なものを除いたら、あとはただ待つくらいか。しかし世知辛い現代社会を渡っていくには、二十年三十年は長すぎるということだろう。待っているだけなら三年寝太郎の方がましなのだ。成果をあげるために、今ある木を「除く」ことばかりが注目されてしまうのは、必定なのかもしれない。

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松山 充

Matsuyama Michiru

愛知県出身。大学卒業後、製造業の経理マンとして森林とは無縁の楽しい生活を送る。齢三十で「日本の山を、救いたい!」を合言葉に林業業界へ殴り込み、いまだに自分すら救えていない体調激悪おじさん。地理と旅行が好きで、最近は奈良の社寺を拝み倒している。森林の悩み事をワンストップで解決できる「山のよろず相談所(仮)」を軌道に乗せることが当面の目標。中小企業診断士、宅地建物取引士、国内旅行業務取扱管理者。

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