森林の単語録|第1回

森林の単語録って?

皆さんは森林についてご存知でしょうか?知っているような気がしているけれど、実はよく知らない人がほとんどではないでしょうか。林業関係者と話をしていると、私たちが当たり前に使用している言葉でさえその精度や捉え方の違いに大きく驚くことがあります。毎回こぼれ話のように聞くそのお話がとても面白いので、森林管理を仕事にする大和協の松山充さんにエッセイの寄稿をお願いしました。1つのワードから始まる私たちの知らない森林についてのあれこれ、皆様も是非ご堪能ください。
※あくまで個人の主観に基づく内容ですので、専門家のご意見・ご批判等は受け付けておりません。

第1回|落ち葉と林地残材

陽楽の森はすっかり冬である。茶色の多い山肌を見ていると新しい芽吹きが待ち遠しくなるが、つんつるてんになった木々が空を指しているさまも、それはそれで風情を感じる。土場の薪積みの間を強烈な寒風が吹き抜ける景色に合っているのかもしれない。年度末が押し迫ってくると仕事の侘しさが一層身に沁みるから、心情的にも滋味深い。

森の方に上がっていくと、そこかしこにカサカサとした黄色い枯れ葉が積もっている。いや、落ち葉というべきか。地面に落ちたかどうかで単語を使い分けたくなるが、大多数の人にとってはどうでもいい言葉遊びだ。晩秋から冬にかけて葉を落とす木は、枯れ木とよばれる。しかし生物として死んだわけではない。なんとも日本語の妙だが、枯れて死んでしまわないために、あえて葉を落としているのである。

樹木は、根から吸い上げた水を葉で光エネルギーを得て分解し、そこで得られた物質を利用して大気中の二酸化炭素を還元して栄養を生み出す。いわゆる光合成反応だ。しかし葉も細胞であるから、作って維持すること自体にコストが掛かる。一本の木には何千何万という数の葉がついているであろう。光合成で作り出す栄養(収入)が無数の葉をキープするために費やす栄養(コスト)に満たなければ、その木の栄養収支は赤字ということになる。やればやるほど損をするのだから、太陽光エネルギーの少ない冬は、いっそのこと葉を落として閉店してしまえというのが、落葉樹の生存戦略である。割に合わなくなってきたと判断するや、繁茂させていた葉を迷いなく捨ててしてしまうさまは、実に潔い。寒い寒いと文句を垂れながら、大量のエネルギーを消費し続ける人間とはちがう。

一方で、冬の間も緑の葉を残している木は常緑樹という。冬の弱い日照でも光合成し続けた方が得だという選択をしているわけだ。サカキ・アラカシ・ヤブツバキ・クスノキ等は、庭先や社寺で一般的に見られ、街中にありふれている。しかし山間部を見渡した時に最も目立つ常緑は、人工的に植えられたスギ・ヒノキであろう。

日本は戦後復興期にひたすらスギ・ヒノキを造林した。それまであった落葉樹を伐ってまでスギ・ヒノキに変えていった。だから現在の日本の山は、年中緑色に覆われている。では、なぜ植えまくったのかといえば、柱や板といった建築用材にするためである。用材だからできるだけ真っ直ぐな筒状が望ましい。スギ・ヒノキはお行儀よく伸びてくれるため、後の製材工程に都合がいい。

林業は、スギ・ヒノキを伐り倒し、最終的に数メートルの丸太にして出荷する。その際、丸太に不適な細い梢や枝葉はお金にならないから、そのまま山の中に放置してくることが多かった。これは林地残材と呼ばれ、伐採跡地には、枝葉や切り株が大量に打ち捨てられている。近年は林野庁がその利用を促進しているためか、枝葉を切り離さずチップ用バイオマス原料として出荷するケースも増えてきたが、手間が掛かるくせに買取価格は安価である。根本的な解決への道のりは、まだまだ長いように感じる。

一年中旺盛に成長を続けるスギ・ヒノキ、その葉っぱが今や林地残材という厄介者になっているのはなんともやりきれない。しかしそれが、“やればやるほど損をする”今日の日本林業を象徴しているようにも思うのだ。

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松山 充

Matsuyama Michiru

愛知県出身。大学卒業後、製造業の経理マンとして森林とは無縁の楽しい生活を送る。齢三十で「日本の山を、救いたい!」を合言葉に林業業界へ殴り込み、いまだに自分すら救えていない体調激悪おじさん。地理と旅行が好きで、最近は奈良の社寺を拝み倒している。森林の悩み事をワンストップで解決できる「山のよろず相談所(仮)」を軌道に乗せることが当面の目標。中小企業診断士、宅地建物取引士、国内旅行業務取扱管理者。

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